新任教頭(仮)①

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 北海道の桜は遅い。今年は例年よりも遅くなるようだ。冷たい風を受けながら諸戸剛はゆっくりと歩く。緩めに締めたネクタイに手をやるが、そのままにした。
 新聞で4月からの教職員人事が発表されてから、諸戸の元に珍しくLINEが来た。

「諸戸さん教頭昇任おめでとうございます!諸戸さんなら絶対良い教頭先生になれます!」
「激務でしょうが、ご自愛ください」
「セブンイレブンの毎日にならないように」
 セブンイレブンが毎日にならないようにとは、午前7時に出勤して午後11時に帰宅するといった生活にならないようにといったことだろう。

 LINEにはとりあえずスタンプをつけて返した。デフォルトで入っている無料のスタンプだ。LINEをくれたのは中学校で働いていた時に修学旅行引率団を一緒に組んだメンバーだ。グループLINEを作った流れで連絡をくれたのだろう。特段プライベートでやり取りするような教員はいなかったのだが。

今となっては随分昔のことのような気がする。そんなことを思い出していると、諸戸の胸ポケットのiPhoneが震えた。だが見なかった。


「北海道立学校新任教頭辞令交付式会場」と書かれた立て看板が見えてきた。
 パソコンで作成したのか、誰かが書いたのか。どちらともとれる字体だ


 門をくぐる。目の前にそびえる洋風建築は国の重要文化財に指定されている。手入れが行き届いているものの、近づきにくい雰囲気をかもちだしている。諸戸はこの建物が苦手だった。
 集合時間は13時。時計は12時40分をさしている。胸ポケットのセブンスターに手をやるが、すぐに戻す。さすがにここでタバコを吸うのは憚られた。ゆっくり会場まで進んでいると、何人かの同業者と思わしき連中が足早に横をかけていく。スーツの着こなしもネクタイの閉め方も、いかにもといった面々が揃っている。自然とため息が出る。ふと空を見上げると厚い雲が空を埋め尽くしていた。
 
辞令 諸戸剛
北海道立坂の上特別支援学校教頭に補する。

 補するって何だよ。と心の中で呟きがらもうやうやしく辞令の紙を受け取った。良い紙を使っている。局紙だ。いくら位だろうかと考えながら手触りを楽しむ。お偉いさんの顔を真剣な眼差しで見つめているものの、意識は手元の紙にある。

 「ありがとうございます」と言いながら深く頭を下げた。いったい何に感謝しているのだろか。
 特別支援学校。改めて正式に決まると諸戸の心は沈んだ。中学校で働いていた頃、クラスに何人か不思議な生徒がいた。こだわりが強かったり、冗談が通じなかったりとなかなか手を焼いたものだ。でも何とか持ち前のパワーで乗り切ることができた。

 いや、パワーで押し込めたのだ。

 同僚からは特別な支援が必要な生徒だから、関係機関に相談してみてはと何度か言われたが、そんなのは無視した。今思うと、彼、彼女には苦しい思いをさせたと思う。特別支援という言葉が一般的になったのは2006年頃、諸戸が教員になって3年ほど経った頃である。毎年何人かの生徒が中学校を卒業して特別支援学校に入学していった。今この瞬間に思い出すなんて、自分はつくづく薄情な男だと諸戸は思う。
「諸戸先生、席にお戻りください」司会の声が遠くから聞こえた。
「あっ、すみません」ふと我に帰る。

 中学校教員歴18年。体育科教員として採用されてからは毎日野球部の顧問として生徒達と全力で駆け抜けてきた。当然、教頭試験合格が決まった後もどこかの中学校で教頭をやるだろうと思っていた。3月の上旬、当時の校長から特別支援学校勤務になるだろうということを告げられた。思いもよらない言葉に「えっ、何で俺が?」といった声がでかかったが何とか抑えたのを覚えている。
 決まったものは決まったもので受け入れるしかあるまい。そう思いながら今日まできたが、改めて正式に決まると不安がよぎる。会が終わり、足早に会場を後にする。
 雪が降ってきた。(続)

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