新任教頭⑥

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「セーフだと思っていたら、アウトでしたかぁ。新しいお茶を持ってきまーす」独り言のように不知火が呟く。
「いやいや、どうぞお構いなく」安房校長が答える。柔らかい声だが目は笑っていない。
「紹介が遅れてすみません。今年度坂の上特別支援学校を担当する不知火指導主事です」北村課長が穏やかに言う。
「不知火優希と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「坂の上特別支援学校校長安房です。よろしくお願いします」
 俺の番か。と諸戸は覚悟を決める。「坂の上特別支援学校教頭諸戸剛です。よろしくお願いします。」
 不知火から目を逸らさずはっきりと伝える。
 一瞬不思議な顔をした不知火だったが、徐々に目尻を下げて、「諸戸先生?えっ?やっぱり諸戸だ!珍しい苗字だからまさかとは思いましたけど。諸戸先生にこんな所で再開できるとは思いませんでした。私、今ハッピーです」
「以前どこかでご一緒でしたか?」北村課長が笑みを浮かべながら諸戸に聞く。
「ええ、しらぬ…」
「そうなんですよ!課長。私が初任の時の指導担当だったんです。あの時はヒゲ面で本当に怖かったです。まさか教頭先生になっているとは。しかも!特別支援学校の教頭ですよ。想像できませんよ。あの諸戸さんが。まぁ想像しても仕方ないですけどね」後半はやけに落ちつたトーンで不知火が言った。
「それはそれは。以前の同僚となれば心強い。諸戸教頭先生これからどうぞよろしくお願いいたします」北村課長は笑顔のまま言った。
 諸戸は無言で礼をする。
「北村課長、それでは例の件について…」先ほどから黙って成り行きを見守っていた安房校長が静かに話した。
「そうでしたね。場所を変えましょうか。不知火君と諸戸教頭先生はこちらで今後のスケジューリングについて打ち合わせをどうぞ」
「諸戸さん、いえ諸戸教頭先生と二人ですか。緊張するなー。なんてね。」
 諸戸は何も言わない。
「諸戸教頭、多分時間が合わないだろうから先に帰っていてくれ」
「承知しました」
 二人が部屋を出ていく。


 扉がしまるやいなや、不知火が切り出す。
「本当に驚きましたよ。諸戸さんが教頭だなんて。失礼を承知で言いますが、似合わない。気でも触れたんですか?」
 無性にタバコを吸いたい気持ちが湧き上がってきたが、ぐっと堪える。質問には答えない。
 不知火は大して気にした様子も見せず、「お互い仕事ですしね。あぁ北山中学校以来ですね。本当に懐かしいな」
「北山中の後、諸戸さんは旭ヶ丘中でしたよね。私がどこに異動したかは知ってますか?」
 静かに首を振る。
「坂の上特別支援学校ですよ。」
 意外だった。風の噂で特別支援学校に異動したことは耳に入ってきていたような気もするが、坂の上だったとは。
「たまじいは元気ですか?」
「たまじい?」
「校医の玉井ドクターですよ。いっつも話す前に「あ〜」って言うのが口癖な」
「玉井先生か。お元気だ」
「学校訪問の時にまた会えるんですね〜最高だな〜」


「諸戸さん、タバコ吸いたいでしょう?私もです。屋上に喫煙所があるんですけど行きますか?」
 電子タバコをペン回しのように回転させながら、上目遣いでこちらを見てくる。手元が狂ったのか電子タバコはあらぬ方に飛んでいった。
「いや、いい。それより今後のスケジュールについて教えてほしい」
「相変わらず、連れないですね諸戸さんは・・・詳しいことは後ほどメールで送りますよ。教育課程の提出云々はすでにご存知でしょうから。そこまで急ぎのものはありません。」電子タバコを拾いながら不貞腐れた声で不知火は言う。
「そういえば、研究部長の高山先生。あの先生には気をつけてくださいね。敵に回すと少々厄介です」
もう敵に回してしまっていると伝えようかと思ったが、黙って頷いた。
「管理職選考には合格していますが、正直難ありです。セクハラ傾向も見られると最近になって報告を受けています。安房校長とは懇意にしているようですが」
「それと、坂の上に限らず特別支援学校は保護者からの問い合わせが多いです。入学式が終わったら電話対応業務が本格スタートです。喉に気をつけてくださいね。テレアポさんです」
 すでに何件か保護者からの問い合わせは受けている。子供の体調や休み中の過ごし方に関する相談が多い。中には我が子の新しい担任を早く教えてほしいという要望もあったが。発語がない、もしくは辿々しい子供が多いということもあり、親御さんは心配になるだろう。学校に相談してくれるということは学校への信頼の裏返しでもある。諸戸は前担任や関係する教員に電話で取り次ぐだけの役回りだが、先生方が保護者の声を丁寧に受け止めていることに尊敬の念を抱いていた。
「最後にもう一点忠告です。あ〜・・・」またあらぬ方向に飛ばした電子タバコを拾いながら不知火が言う。
「ここからは真面目です。メモした方が良いですよ」
 向かいに座る指導主事は席に座り直しやや前屈みになった。今日一番真剣な顔だ。


「坂の上特別支援学校には幽霊が出ます。髪の長い女の幽霊です。」

「夜の見回り気をつけてくださいね」

 諸戸は何も言わず席を立った。(続)

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